|
2012年 05月 26日
【5/2(水)】 水曜日は、海岸清掃のボランティア受け入れ団体「気仙沼復興協会(KRA)」の定休日。折角なので、気仙沼港近くの「大島」に観光で行くことにした。気仙沼港周辺では、まだ震災の傷跡は残っている。 ![]() ![]() フェリーに乗り込み、海上でカモメにパンくずを投げると、器用に羽ばたいてくちばしで咥えた。約20分で浦の浜港に到着。 大島も、復興にはほど遠い。しかし、足を遠ざけていても何もならない。ささやかでも、お金を落とすことが必要だ。 ![]() 歩いて、龍舞岬に向かうことにした。徒歩で、40分ほどで到着。美しい岬で、津波のような恐ろしいものが来るとは思えなかった。 ![]() 岬の駐車場近くに「たつまい食堂」があったので、昼食を取ることにした。「龍舞定食」を注文。白っぽい刺身はカジキマグロの刺身だそうで、脂がのっていて美味しい。関東ではカジキマグロは煮付けにすることが多いが、刺身は珍しくもあった。 ![]() 午後から、龍舞岬遊歩道を歩いた。舗装がされていない自然の道で、森林浴をしながら、きれいな海を見つつ歩くことができた。ハイキングも楽しめる。 ![]() しかし遊歩道が終わり、浜辺に近づくとゴミの山が見えた。「震災復興」を心から願う者ならば、震災ゴミの受け入れは当然だと思った。 ![]() ![]() フェリーで気仙沼港に帰り、疲れを癒すため「気仙沼プラザホテルhttp://www.pkanyo.jp/」の、温泉に入ることにした。ここは天然温泉で、露天風呂やサウナもある。ただし、外部からは12:00~15:00、19:00~22:00しか利用できない。 夕食は、気仙沼復興商店街のお寿司屋「特急寿し」で、ちらし丼を注文した。店名の通り、すぐに作ってくれた。美味しくて、しかも手ごろな価格で食べることができた。 ![]() 2012年 05月 14日
【5/1(火)】 海岸清掃のボランティア初日。バスで「気仙沼駅」から乗り「階上公民館前」で降りる。徒歩で、ボランティア受け入れ団体「一般社団法人 気仙沼復興協会(KRA)」に向かう。 リンク先の説明文。 一般社団法人 気仙沼復興協会(KRA)のOfficial Web Siteです。気仙沼復興協会とは、震災により職を失った人たちへの雇用創出、復興に関する事業を興すことを目的として設立された一般社団法人です。 国→気仙沼市→気仙沼復興協会と、資金を受けているため、思想(「脱原発」や「護憲」など)や宗教とは無縁で活動している団体だ。なので、ここを選んだ。また、津波で流された写真を洗浄して保管する「写真救済事業」で注目されたことも、後で知った。 説明や準備体操の後、ボランティア同士で車に乗り込み「お伊勢浜海水浴場」に向かう。「力仕事で大きいゴミを掘り起こす」「比較的小さなゴミを拾い集める」「集めたゴミを分別する」の3班に分かれて活動。自分は「力仕事」班に入った。 7から8人で砂浜に埋まった木の根を掘り起こし、ロープで道端に引き吊り出すのに午前中いっぱい掛かってしまった。昼食休憩の後、午後からは別の材木を掘り起こしたり、網やロープを掘り起こしていた。 ![]() 説明では9:00~15:00までの活動と聞いていたが、14:15ぐらいで切り上げて、津波で犠牲者になってしまった人たちの慰霊碑に、線香を上げに皆で向かった。慰霊碑がある場所は避難所だったが、そこまで津波が来てしまったそうだ。冥福を祈った。 ![]() まだある震災ゴミ(ボランティアとは別団体)。 ![]() 活動報告は、下記のブログも参照のこと。上から2段目の向かって右列と、3段目の左列の、白っぽい作業着に白い鉢巻をしているのが私本人。 『浜の清掃ボランティア』始まりました。 http://kra-fucco.com/archives/1557 気仙沼復興協会で解散してから、親切なボランティアの人の運転で、気仙沼復興商店街の「あさひ鮨」で早めの夕食を取る事にした。皆で「復興支援コース」1,500円の鮨を注文した。気仙沼名物のフカヒレの軍艦巻きもある。話し込んで写真を撮るのを忘れてしまったが「海の幸」目当てに気仙沼を選んだのは正解だった。 2012年 05月 12日
【はじめに】 ゴールデンウィーク中に、気仙沼で海岸のゴミ掃除をするボランティアに行って来ました。しかしながら天候不順と主催者の定休日で、ボランティアは実質2日半、観光が3日半になってしまいました。そのため、タイトルを「気仙沼ボランティア旅行」としました。 あまり清掃で貢献できませんでしたが、ささやかながらも被災地に観光でお金を落とした事は、少しはお役に立てたのではと思っております。 【4/30(月・祝日)】 今日は移動日。東京駅から新幹線で一ノ関駅まで行き、そこから電車を乗り換えて気仙沼駅に向かう。気仙沼を選んだのは、鉄道やバスといった公共交通機関が使えて、「海の幸」が楽しめそうだったから。 仙台行きの新幹線に乗ったが、乗客数は少ない。上野駅を通過した時点で、自由席車両に4人しかいなかった。また、仙台駅ですれ違った、青森行き全席指定の「はやて」は、最後尾の車両の乗客数がゼロだった。東北方面の旅行客が少ないのだろう。 一ノ関駅に着いて買った「三陸海の子弁当」。魚介類が盛り沢山。 ![]() 大船渡線から気仙沼行きの電車に乗る。2両しかなかった。気仙沼に着いてから、予約していた宿、「寶屋旅館」に荷物を置かせてもらう。素泊まりできるので、経済的に有り難い。 市内に「北野神社」があったので、参拝した。桜が見事に咲いていた。今年は、地元で半日程度しか花見ができなかったので、改めて満開の桜を見る事ができて心が洗われた。 ![]() ![]() しばらく市内を散策していて、港周辺にたどり着いた。まだ震災の爪痕が残っている。 ![]() ![]() 大川周辺では、まるで空爆を受けたかのように、だだっ広い光景が広がっていた。後で地元の人に聞いたら、津波が大川を遡って、被害が大きくなったそうだ。 ![]() ![]() しかし、元気に復興している所もある。たとえば、気仙沼復興商店街。 ![]() その中にあった焼鳥屋「○安」。海の幸ではないが、香ばしい匂いに釣られてしまった。とりあえずビールと、焼鳥(おまかせ)、牛タンを頼む。焼鳥屋だがモツ焼きも出てきて、これも美味しい。気仙沼を選んで正解だったと実感した初日だった。 ![]() 2012年 04月 30日
更新が滞っていますが、4/31~5/6まで気仙沼に、海岸のゴミ掃除をするボランティアに行ってきます。 実質上の活動期間は5/1、3~5の4日間です。気仙沼を選んだのは、鉄道やバスといった公共交通機関が使えて、「海の幸」が楽しめそうだからです。では行って来ます。 2012年 03月 28日
先日、半日お休みを頂いて、習志野市議会の一般質問を1時間半だけですが傍聴してきました。内容は後で書きますが、議員の中には議長を除いて、質問しない人が3人もいました。習志野市は、液状化現象をはじめ様々な大震災の被害を受けたのですが、問題意識がないのでしょうか? 議員から市への質問の中で、いくつか印象に残ったことを順不同で書きます。録音した訳ではなく、私の記憶によるものですが、正確な内容は議事録で検索できます。 問 菊田川を、津波が遡ることはあるか? 答 川を管理しているのは県だが、県との合同勉強を行っている。水門を作ることを検討している。 問 3・3・3号線整備の取り組みは? 答 用地買収は89%。平成25年度に完成予定。 問 不登校の子供達にどう取り組むのか? 答 「フレンドあいあい」の活動を通じて、学校復帰を目指している。現在39名が在籍している。 問 PPS(特定規模電気事業者)の電力活用は? 答 すでに芝園清掃工場で利用している。PPS側から供給がいっぱいなのと、CO2の排出が多くなることから、利用を増やすことは検討する。 あと、私が習志野市議会を傍聴した時、他に傍聴席にいたのは2名、帰る頃には1名しかいませんでした。仕事を休まないと行けない時間帯に行われるのも問題ですが、見てくれる人がいないと、張り合いがないのかもしれません。 市民として政治に不満をいう前に、まずは身近な市議会に足を運んでみては如何でしょうか。議会中継は行われていますが、直接見に来る人が増えれば、市政に関心を持つ市民が増えていることを市や議会に伝えることができます。 市議会最新情報 習志野市ホームページ http://www.city.narashino.chiba.jp/shigikai/osirase/gikaisaisin.html 2012年 02月 22日
平成24年2月16日、千葉JC(青年会議所)で前横浜市長・中田宏先生のご講演で勉強させていただきました。テーマは「日本の現状とこれからのリーダー 明るい未来の為に」です。勉強になるお話でしたので、共有(シェア)したく、ブログにまとめてみました。なお、文章は私(長谷川)の記憶によるもので、大意であることを予めお断りしておきます。 --- ・私を紹介してくれた人が大変緊張していたが、自分も松下政経塾で毎朝みんなの前で自分の思っていることを「所感」として述べるのが大変だった。何日も前から、話すことを考えていた。 ・橋下徹・大阪市長と話をしたが、西成(あいりん地区で有名)がある区には区長応募者が来ないだろうと思っていたら、20名以上来た。全体で、区長応募者は1400名以上。 ・応募者が書いた書類を見るポイントは、その人の社会に対する課題認識と社会観、そして「市民に何を求めるか?」。市民に「あれしてあげます」「これしてあげます」という人がほとんど。「市民に何を求めるか?」が書いてあってから、経歴を見る。 ・ここ10年の政治は「あれしてあげます」のオンパレード。人口減で売り上げが減るのは当然。努力工夫して売り上げを増やしても同業者は減って、トータルで考えれば、全体として減少している。このことを前提として、経営や行政を行なわなくてはならない。 ・横浜市長時代、“非「成長と拡大」”というキャッチフレーズを唱えた。戦後間もない頃は成長と拡大はリンクしていたが、その時代はしなくなったから。 ・今の中国は、日本の戦後間もない頃と同じ。そして日本と比較ならないほどの格差社会。それでも国がまとまっているのは「成長と拡大」を繰り返しているから、不満を押さえ込むことができる。 ・横浜市では、人口が減少しているにもかかわらず、通勤・通学客が増えることを前提にして予算要求がされていた。 ・みなとみらい地区は、(税金を使わない)特別会計だった。埋め立てで価格が高くなった造成地を売って元を取ろうとしたが、売れなかった。そこで、中古車販売会社に土地を貸している。もう成長しないのだから、損をしてでも相場の金額で売り、損を確定させることが必要。あと、税金を減免して、企業誘致をした。応じてくれたのが日産。 ・当時の横浜市の職員に、市の借金を聞くと「1.5兆円」と言われた。バスや地下鉄の借金は運賃で支払うので、借金ではないと説明された。しかし、市は「交通弱者支援」などと称して、税金を投入していた。 ・地下鉄の借金を30年で返済する計画を職員にしてもらったら、初乗り運賃が1030円になっていた。計算上は30年で返済できるが、現実的には返済できない。民間から人を呼んで経営を効率化させたが、それでも1500億円返せないことが明らかになった。他も含めて、全部で「6.2兆円」の借金があることが分かった。 ・職員の「特殊勤務手当て」全53種類を削った。危険な任務についている人に支払うのは当然だが、保育士に「保育手当て」が付いていた。他にも「戸籍手当て」というのがあったが、これも廃止した。 ・市長は社長と違って、職員(社員)の採用、処罰、給与水準の決定ができない。給与は、人事委員会が決める。大企業を参考にして決められていたが、地域の企業も参考にして決めるようにした。町内会や業界団体の補助金もカットした。 ・市民にゴミの分別をしてもらおうとしたら、職員から大反対された。それは「全市民にゴミの分別を伝えるのは無理だ」という理由だった。そこで、2年間は徹底して伝えることにした。「ゴミを30%減らす」と言う意味で「G30」というキャッチコピーを作った。「G30」をバスや地下鉄の放送などで繰り返し訴えて、ゴミ分別を実行してみたらゴミは40%減った。 ・ゴミ削減により、焼却炉を減らすことができ、50億円浮いた。市民の満足度調査では、「ゴミ」が1位になった。市民が自発的に行っているから。ゴミ減らしには「リバウンド」があるが、横浜市にはなかった。ゴミの有料化は、初年度は効果があるが、次年度からは関心が薄れるから。 ・政策は逐次導入すること。任期最後の年は、生ゴミを堆肥にできるぐらい分別してもらった。 ・行政はホテルではない。ホテルは金次第でサービスが変わるが、行政はそんなことはない。最低の水準は保証するが、それ以上のことは市民が参加して行う仕組みを作る。 ・介護や児童虐待防止などは、昔は行政の仕事ではなかった。そうやってサービスを求めて行って、借金が増えた。人口減により税収が減れば、サービスも減らして当然だが、「今まで通り」を求めてしまう。 ・人口減ゆえ、内需拡大には限界がある。輸出に力を入れる必要があるが、単なる「仕事」では中国やベトナムには勝てない。日本のきめの細かいサービスは世界一。「中枢」を輸出すること。 ・新しい産業は人が少なく、票を持っていない。だからこそ、基礎的な知識を共有して、きちんと投票すること。 ・松下幸之助は「人が行き詰るのは、自分のことしか考えないとき」と言っていた。今、こうして安全に暮らせるのは先人のお陰だから、感謝を忘れてはならない。 (質問)今後の日本創新党の方針は?昨年の参議院選挙では、国会議員がいなかったため政党要件を満たしてなかったが、次の衆議院でもこのままの体制で行くのか。中田先生や山田宏・前杉並区長の様に、地域改革で実績を上げた人材がいるのだから、地方政党としての道もあるのではないか。 (答)「政党要件」というのは存在しない。マスコミが、政党助成金がもらえる要件を政党要件と言い換えている。昨年末に政党助成金をもらうために色々な政党ができたが、日本創新党はそんなことをしない。 再編を起こしたい。自民党は冷戦時代の理念、民主党には理念がない。再編は、理念を共有すること。日本創新党の理念は「自立」。橋下さんは「自立」が理念。自立した人々がいて、助けが必要な人を助けられる。自立をキーワードに、キーパーソンをつなぎ合わせている。 --- (感想) 具体的な体験を元に、大変分かりやすい講演でした。また、“非「成長と拡大」”“G30 ”という、キャッチコピーで人の心を掴む才能が政治家には必要であると、思い知らされました。 「人口減ゆえ、内需拡大には限界がある。輸出に力を入れる必要がある」というお話がありました。後に私が聞いた、中小企業診断士・三橋貴明先生の講演では「人口が減っても、消費と投資は違う」と言うことで、内需に力を入れるようにとの意見でした。 確かに、たとえば高度成長期時代に作られた橋を架け替えるのは、人口減の時代でも必要です。第一線に立つ先生方でも見解が分かれるのは、それだけ難しい問題だからでしょう。 「自立した人々がいて、助けが必要な人を助けられる」は、まったくその通りです。なんでも国任せ・自治体任せではなく、「自分でできることは自分で行う」という当たり前のことを取り戻すことから、日本の将来が明るくなると確信しました。 2012年 02月 12日
平成24年2月8日、習志野JC(青年会議所)で、習志野市出身の水泳金メダリスト・鈴木大地先生のご講演で勉強させていただきました。テーマは「金メダリスト習志野で語る」。聞いていてやる気の出るお話でしたので、共有(シェア)したく、ブログにまとめてみました。なお、文章は私(長谷川)の記憶によるもので、大意であることを予めお断りしておきます。 --- 小学校のときは、水泳だけではなくバランス良く体を動かした。全国大会で上位に入る事もあったが、練習をサボってビリになることもあった。最初は大久保CACに通い、後に谷津のセントラルに移った。 中学の頃は体が小さくて水泳をやめたかったが、スイミングクラブのコーチの年賀状に「お前はオリンピックにいけるから頑張れ」と励まされて、頑張ることができた。子供は、先生の言うことをよく覚えている。 子供は夢を叶えることを望んでいるが、大人は「大学生だから」「社会人だから」と夢よりも年齢で判断する。でも、気にすることはない。 高校のときは勉強があって、あまり練習はできなかった。でもオリンピックに出ることはできた。それは練習を全力でやったから。 やる気のあるときに練習するのは、誰にでもできる。やる気のないときに練習をする工夫が必要。そのために、オリンピック選考会で優勝したときのガッツポーズを練習して、やる気を出した。また、「オリンピックに出られたらモテる」と思い、練習を頑張った。 初めてのオリンピックのときは、プレッシャーで体調を崩した。ジュースやフルーツしか口に入らなかった。予選と決勝は雰囲気が全然違う。大舞台では、声援が力になった。 マラソンの小出義雄監督は、市立船橋高校時代の体育の先生だった。先生と話をしただけで、実力が引き出される気がした。小出先生と水泳のコーチが順天堂大学の出身だったので、自分もその大学に進学することにした。 大学生のときに、腰を痛めた。新宿の、針師の先生に治してもらった。「今まで普通の医者に治すことができなかったのは、貴方(鈴木先生)の体が一流選手の体で、普通の人の体ではなかったから。怪我をするのは、神様が『やり方を見直せ』と言っているから」と言われて、楽になった。 当時は日本人が水泳で金メダルを取るなんて考えられなかった。日本では、人と違っていると居心地が悪い。しかし、気にしないでオリンピックで金メダルを取る練習をした。自分なりに頑張っていると、周りの見方が変わってくる。結果を出すと、好意的になってくる。結果を出すまで、突き進むしかない。 オリンピックは午前中に予選、夜9時ごろに決勝戦があった。間が空くが、集中力の高め方は各自で身に付けるしかない。 オリンピックには独特の雰囲気があり、ライバルのはずの選手同士が握手していた。「平和の祭典」に相応しい友情が、選手同士にあった。 「緊張」と「あがる」のは違う。緊張するのは、何が起きても動けるように心臓が血液を体内に送っているから正常な反応。あがると頭の中が真っ白になり、対応できなくなる。 反復練習は、体が自動的に動くために行うが、日本人独特のもの。アメリカ人は、飽きてしまってできない。100m泳ぐために、何度も反復練習をした。 金メダルを取った夜、宿に帰ったらコーチが酒を持って待っていた。翌日リレーがあったが、5位に終わった。 オリンピックが終わってから、アメリカに渡った。アメリカ人飽きっぽいゆえ、練習が楽しくなるように工夫する。また、選手とコーチは師弟関係ではないので、議論に1時間を使うこともある。 「エンジョイスイミング」「効率的な練習」と称して、練習量を減らしてしまった。体が動かなくなり、他の選手にも負けてやる気がなくなり、引退を決意した。 最初のオリンピックは「出るため」。次は「金メダルを取るため」。最後は「出ることすらできなかった」。しかし、その時に記録を出せずにもがいたから、コーチになって人を教えるときに、相手の気持ちがわかるようになった。 どんなに強い選手でも、弱くなって負け、引退する時が来る。それを受け入れられる「グットルーザー(良き敗者)」になることが必要。 今年はロンドンオリンピックがある。日本で大声で応援すれば、ロンドンまで届く。 イメージトレーニングしたことは、実現する。良いことをたくさん考えること。そして練習すること。 (質疑応答) Q.監督として、どんな事を気を付けているか? A.いいコーチは、選手を伸ばす人。もっといいコーチは、選手の心に火をつける人。押し付けよりは、自分から能力を引き出す方が伸びる。 Q.これからの目標は? A.25歳まで選手としてやってきたので、これからは社会に恩返ししたい。 Q.自分の子供も水泳をやっているが、体が小さくて悩んでいる。 A.昔はレベルが低かった。身長170cmでも入賞できた。体の小ささは、正確な動きでカバーできる。 Q.いいイメージを持ち続けるには? A.まずは執念。トイレに目標を張って、常に思い出した。あと「いいもの」と付き合う。たとえば、いい音楽や前向きな人。そうすると、自分も前向きになれる。 2012年 01月 30日
平成24年1月25日、政経倶楽部千葉支部例会で、林英臣政経塾塾長・林英臣先生のご講演で勉強させていただきました。テーマは「経営と人生を見つめよう、2012年は覚悟の年となる!」。示唆に富むお話でしたので、共有(シェア)したく、ブログにまとめてみました。なお、文章は私(長谷川)の記憶によるもので、大意であることを予めお断りしておきます。 --- 2020年までは我慢の年。誰が何をやっても苦しい。乗り切るには原点=種を見つめること。「そもそも」の後に続く言葉が原点につながる。何度も見つめて「原点の原点の原点」にたどり着ければ、揺るぎないものになる。 日本の原点と、文明の大局(世界はどう動くか)。これらを自分に落とし込む。明治なら、日本の国是を担った会社が伸びた。それは、社会が求めている会社だからだ。 米軍が沖縄からオーストラリアのダーウィンに退くのは、吉本新喜劇の池乃めだか氏のようなもの(注・池乃氏は威勢のいい言葉を言いながら、後ずさりをする芸を持つ)。 文明は「交代期」に入った。欧米は衰退してゆく。G6(先進6カ国)からG20になったのが、その表れ。 実力が同じなら、大局を見ている方が勝つ。揺るぎない原点があれば、鬼に金棒。 3年は我慢してみる。我慢のためには、夢や希望が必要。それを書き出すリーダーがもっと必要。 2010年から文明の転換期に入ったが、この時代はパターン化できる。すなわち「廃屋、解体、地ならし、基礎、柱立て」。 大河ドラマの「平清盛」を例にとると、廃屋=平安の世、解体=保元・平治の乱、地ならし=清盛の世(一時の覇者)、基礎=源平の戦い、柱立て=鎌倉幕府。 清盛は天下を取ったが理念はなく、旧体制を真似た。頼朝には「武家政治」という理念があった。遷都や貞永式目(御成敗式目)がその表れ。 現代では2012年から15年の3年間が「地ならし」の大切な時で、我慢の時でもある。そして群雄割拠が始まる。20年には「柱立て」が始まる。 --- (感想) 「廃屋、解体、地ならし、基礎、柱立て」に、目から鱗が落ちました。歴史は好きで、何十冊も本を読んできましたが、ここまで分かりやすい言葉はなかったです。 現代なら、廃屋=戦後体制、解体=民主党政権獲得、地ならし=維新の会など地域政党、となるのでしょう。ただし、「基礎」に「源平の戦い」があったように、もう一波乱あるかもしれません。 たとえどんな時代になろうとも、「原点」を見つめ直すことで困難を乗り切れると確信できました。さらには、皇室のない諸外国なら、権力争いに歯止めが掛からず、どれほど凄まじい世になるか想像しただけでも恐ろしく思います。 しかし、源平の世も現代も、皇室という一本の軸が日本にあるという事実が不安を解消します。日本に皇室がある幸せを改めて思い起こしました。 2012年 01月 17日
@aborebus フォローありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします。 むなしいお小遣い稼ぎ・・・。RT @pik: 福島県地域の土地を買うために書かせてるとかね。■1記事500円「出来るだけ、放射能は怖いと思えるような文章でお願いします」という記事作成依頼の存在が発覚 - GIGAZINE http://gigazine.net/news/20120114-radioactivity-report/ 私の友人が参加している劇団の活動が、千葉日報に取り上げられました! RT アマ劇団がオリジナル演劇 豊かさ、道徳観を表現 習志野鷺沼小 | ちばとぴ ちばの耳より情報満載 千葉日報ウェブ http://www.chibanippo.co.jp/c/news/local/67028 2011年 11月 28日
平成23年11月23日(祝) 先日、香澄公園のキャンプ広場で行われた、習志野市国際交流協会主催のふれあい祭りをお手伝いしてきました。外国人の方も多く参加していました。 私は習志野青年会議所の有志と共に、綿あめ作りやスーパーボールすくいのお手伝いをしてきました。どちらも1回50円の格安で楽しめます。谷津から参加している人もいました。楽しくてお財布に優しいお祭りでした。 チーバくんも参加。 ![]() (綿あめ機の画像は理事長ブログより引用) ![]() ![]() |
アバウト
メモ帳
私の政治姿勢・決意 詳しい自己紹介 メール Twitter (ツイッター) facebook(フェイスブック) mixi(ミクシィ) GREE(グリー) 龍馬プロジェクト 「台湾旅行記」まとめページ 最善を尽くしたももの、公職選挙法などのここに書いてある情報については保証できません。自己責任でご利用下さい。 (C)HASEGAWA, Yusuke ツイッター
カテゴリ
タグ
政治(130)
習志野市(117) 海外(59) 台湾(54) 選挙(52) 旅行(51) まちづくり(24) お祭り(17) 教育(15) 公職選挙法(15) 千葉県(13) 公共事業(12) 児童(12) おいしいもの(8) ボランティア(7) 福祉(7) 歴史(7) 七年祭(6) 消防(6) コミュニティバス(5) 最新のコメント
以前の記事
2012年 05月
2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 11月 2011年 08月 2011年 06月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 最新のトラックバック
検索
ファン
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||